【リパッティ】極限の健康状態で臨んだブザンソンラストリサイタル

ピアノ名盤

みなさんこんにちは、アビクラです。

ライブやコンサートは一回限りのやり直しの効かない芸術作品です。

数多くの舞台を経験して研ぎ澄まされた演奏家の技量をベースに、当人のコンディションや聴衆の雰囲気がプラスに働き、時に神がかった演奏に昇華させることがあります。

今回ご紹介する、ルーマニアのピアニスト「リパッティ」のブザンソンラストリサイタルは、不幸にも33歳という若さで死の可能性に直面しながらも、強靭な精神でピアノに向かう、まさに神掛かった凄演です。

1950年と悪い録音状態にも関わらず、リパッティの一音一音に内包される人間味や美しさが名演を通して感じることが出来ます。

正直、これを聴いた時は呆然としてしまいました。

強靭な精神力で弾き切る圧巻のピアノを浴びたい人にオススメ

リパッティとは

ディヌ・リパッティは、1917年ルーマニア生まれのピアニスト。

母親やピアノ、父親はヴァイオリンを演奏する音楽一家に生まれ、ブカレスト音楽院で学びます。

1933年にはウィーン国際ピアノコンクールで第二位に輝いたあと、パリ音楽院でピアノをコルトー、指揮法をミュンシュ、作曲をデュカスと名教師たちから英才教育を受けました。

第二次世界大戦をきっかけにスイスへ脱出しジュネーブ音楽院でピアノ科の教授として活躍します。

彼の運命を変えてしまったのは、1947年に告知されたガンの一種

これによりリパッティは発熱や倦怠感が続き、コンサートの依頼がありつつも思うように演奏活動が出来ませんでした。

最新治療を受けるものの、体調は悪化の一途を辿り、病魔と闘う日々が続いてしまう。

リパッティの演奏活動はたった10年ほどで、体調が戻ったタイミングを見計らっての録音活動、CDにして13枚程度と、レコーディングが極端に少ないピアニストです。

数少ない音源にも関わらず、世界的な評価を得て、今でもトップピアニストとして名前の挙がるリパッティ、如何に彼の演奏が凄かったのかが伝わると思います。

リパッティの演奏の特徴

録音が古くとも伝わってくる、気品に満ちたふっくらと粒の揃った音

演奏技術や音楽表現が卓越したものであるにも関わらず、これ見よがしな演奏とは無縁で、真摯にピアノに向き合う高貴な演奏スタイルが特徴です。

伝説となったブザンソンラストライブ

リパッティの中でもっとも有名なパフォーマンスは、1950年フランスで開催されたブザンソン音楽祭です。

当時のリパッティの体調は病魔が進行し、特に憂慮すべき状態で、ブザンソンに到着した時はドクターストップが掛かっていました。

リパッティは「僕は約束した、弾かねばならない」というセリフを残し、痛み止めの注射を打ちステージに挙がりました。

そんな光景を妻が見て、(十字架にかけられる)「ゴルゴダの丘に向かうキリストの様」とも表現しています。

ライブの途中であまりの高熱と痛みで一旦控室に戻り痛み止め注射を打ち、再度ステージに挙がって演奏を続けた逸話が残っています。

このライブでの演目はバッハ、モーツァルトを経て、ショパンのワルツ集を演奏しています。

特にショパンのワルツは全14曲をリパッティ独自の曲順で演奏しましたが、第2番の1曲だけは力尽きて演奏が出来なかったようです。

そんな死と隣り合わせの鬼気迫るリパッティの演奏を聴いたとき、ピアノってこんな感動的な音がするんだ、としみじみしました。

リパッティはこのブザンソンライブのわずか2か月半後に33歳という若さで亡くなってしまいます。

まとめ

いかがだったでしょうか。

若くして死を覚悟しながらも体に鞭を打ち、圧巻のピアノ演奏で聴衆の脳裏に焼きつく音楽を残したリパッティ。

彼の演奏を聴いていると、今の私よりも年下なのに、なんとも人間としての器が違いすぎる感覚を覚えます。

是非、ラストライブ以外の音源も聴き、リパッティの音の世界を堪能してみてくださいね。

good classical music for your lifestyle.

画像参照: https://www.dinulipatti.com/

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